インターネットは産業革命以来の人類の革命かもしれない。


私たちアラカン(アラウンド還暦)は両方の良さを知っている。
両方というのは古い物の良さと新しい物の良さ

私も両方に惹かれ、骨董品や古い物、昔の道具や機械、古いものは何でも好きだ。それと同時に新しい物、斬新で便利なソフトなどにも感動する。

バーを経営しているので毎日様々な人を見ている。時々新聞や雑誌を出したり、イベントなどもやっている。
それでおもしろいことに気がついた。

紙とペンの世代(アナログ・アラカンかそれ以上の世代)の大多数は、ちょっとした文章を書くのにじっくり考える。考えすぎて結局書けなくなってしまう。文章のプロは別だが、そういう理由で普通のアナログ・アラカンは「文章は苦手」ということになってしまうのだ。現代の若いデジタル世代は物心ついたころから、携帯やメールなどをやっているので話すのと同等の容易さで文章を書くことができる。間違った文字や言葉はいとも簡単に修正できるからだ。⇦会話する時に文法のことなど考えないのと同じで、"修正"すら考えない場合も多いようだ。昔の紙や便せん、原稿用紙ではそうはいかなかった。

それと紙とペンの世代は、紙に何か書くという行為は必ず人に見せることが前提で文章を書くので、書く前にじっくりいろいろなことを考慮した上で文字を書き始める。デジタル世代は必ずしもそうではなく、自分の思うことをひとりごとのように書く場合も多々あるようだ。だからネットを見ていると、他人が「見たいなら見ても良いわよ」的なひとりごと文章も多いような気がする。自分だけの手帳に書くようなメモサイトも多数あり、それを公開することもできる(で、これこそ「見ても良いけどそれに対する意見は要りません」なのだ)。

私の場合はまったく別の理由で「見たいなら見ても良いわよ」的な文章を書く癖が付いてしまった。外国に長いこと生活したので、10年前に日本に戻った時にはほとんど日本語ができなかった。だから開き直りのように文章を書く。「何十年も日本語社会で生活していないし、正しい日本語なんてどうせ書けない・・」というような思いだ。

私たちアラカンに必要な練習は、思ったことをそのまま文字に打ち出していくことだと思う。だから私はブログやtwitterはてなHAIKUなどを使っている。この二つはとても良い訓練だ。

まずは、独り言のように一日数回このような「ひと言ブログ」のようなものに書いてみては?だれかに宛てた文章ではない、でも見たいなら見れば・・


※本当はtwitterHAIKUにももう少し意味や目的があるようだ。それは次回に・・